エッセイ

ニュージーランドからの通信 2014年2月

日本では、不登校が学校におけるもっとも大きなひとつとして、関係する人たちを大いに悩ませています。ところが、NZには「不登校という問題」はありません。しかし、学校に来ない子供たちはいます。息子の話を聞いていると、その数はそれほど少ないとは思えないにもかかわらず、この「問題」が存在しないのです。

「問題」が問題として存在するためには、問題とされている症状や現象がそこにあることが前提になると思いがちです。しかし、重要な点は、症状や現象がそこにあることではないのです。

それは、その症状や現象を「問題」として見なす、私たちの理解の仕方に依っているのです。つまり、私たちが問題だと見なすから、問題なのであって、問題と見えないものは、いくら大きな症状や現象があろうとも、問題とは見えません。NZでは、捕鯨がものすごい社会問題として取り上げられますが、日本のみなさんには理解しがたいですよね。なぜ問題なのかすら、ピンときません。

では、学校に来ないことは「問題」ではないと言うことなのでしょうか? この質問は、私たちを間違った方向に導くと思います。私が問いかけたいのは、「なぜ現代社会はここまで『毎日登校するタイプの学校』という選択肢か子どもに提供しないようになってしまったのでしょうか?」ということです。(国重)

 

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