国重浩一著「ナラティヴ・セラピーの会話術」

国重浩一著 「ナラティヴ・セラピーの会話術」 金子書房 3300円+税

 

これまで、ナラティヴ・セラピーとは、一体どのようなものなのか? その関連領域の本を何冊も読み、勉強会でもよいテキストを提供して頂いて来ました。…にも関わらず、やはり、ナラティヴ・セラピーって「こうよっ」て言い切れず、ずっと曖昧にしていたように思います。

この国重さんの著書「ナラティヴ・セラピーの会話術」は、非常に読みやすかったです。また、読んでホッとしました。著者自身、ナラティヴ・セラピーというものがどのようなものなのかを「人はそれぞれにナラティヴを理解し、実践しているのではないか」(p.11)という表現をされています。思わず納得してしまいました。

さて、この本は序章から第6章で構成されいます。序章では「『何がナラティヴ・セラピーであるか』具体的には定義できないが『本当の真実』は存在せず、その人自身に自分の人生を生き抜いていける資質、資源、能力が必ず存在しているという信念をもっていること」(p.12)を前提としていることが語られています。

第1章では、本人の主観性を引き出し、人を問題とせず、問題を問題として取り扱っていくことを強調し(p.30)、「外在化する会話の例」をあげて解りやすく述べられています。第2章では、「ナラティヴ・セラピー」について概要や理論的な側面について述べられています。

第3章では、「言葉と物語、そしてディスコースとエイジェンシー」について述べられています。「私はB型の人とは絶対に会わないから…」という「血液型にまつわるディスコース」で「さまざまな要因の中からこのディスコースを取り上げ、自分を取り巻いている現象を理解するために利用していたのです」(p.91)という事例などは、非常におもしろいところです。実際、私自身血液型に支配されていた時期がありました。これは、国重さんとの会話の例ですが私が国重さんに対して「絶対B型でしょう」といってしまったことがありました。彼はニヤニヤして、その時は教えてくれませんでしたが一言、「日本人の思い込みだよね」と言われたのを覚えています。彼は、A型だそうです。確かに「思い込み」でした。ここでは、「思い込み」という「支配的なディスコース」から「変化していくディスコース」について学べました。次に「エイジェンシーについて」ですが、問題とするものとどうやって戦ってきたのか?「支配的なディスコースに拮抗するディスコース」を一緒に探すこと、幾つか探し出したディスコースの中から「好ましいディスコースを選択していく力」を『エイジェンシー』(p.102)と呼ぶと言うことを理解しました。

第4章では、「ナラティヴ・セラピーの主要な技法」について述べられています。ここでは、心理療法とナラティヴの違いに触れ、ナラティヴを支えている背景にあるもの「問題が社会に構築されているという視点がある以上、その問題を支えている背景を見つめ、問題の絶対性を崩すような取り組み」(p.156)をしているということです。

第5章では、「再著述」について述べられています。支配されていたものから変化し、自分の好ましい選択をしていく語りを「再著述」としてナラティヴ・セラピーの全体的なスタイルとしているのかなと捉えました。第6章では、実際のカウンセリングの事例が載せられています。ナラティヴ・セラピーがどのような会話術なのか、とてもイメージしやすいと思いました。

この本から学ぶことは多いと感じます。社会構成主義という立場は、これまでの心理療法とナラティヴ・セラピーの違いがはっきりしている点です。つまり、私たちが常識と思っていることは、一度崩してみる必要がありそうだよと疑問を投げかけているようです。少なくとも囚われてきた過程の中で、問題に抵抗出来ていたものは何か? エイジェンシーを発掘していく作業は、実にユニークでおもしろいと感じました。

例えば、「私は、先生との関わりが苦手で、トイレへ隠れてしまいます。」というクライエントに対して、私がナラティヴ・セラピーから教わったのは、「トイレへ隠れて自分を守る方法を思いついたのですね」と返してみたことです。否定的な自分を主観的に捉えていたクライエントが「自分を守る方法」としてのエイジェンシーを発見した瞬間でした。このような技法は、今では、私の十八番になっています。また、私は「エイジェンシー」という言葉が好きです。

日本語に訳したら「主体性」とか「主観性」という訳語になることが多いとのことでした。でもまた、それとは少し違うという感覚が伝わってきました。私なりに考えてみました。日本では、常識(囚われ)の中での主体性という意味合いが濃い印象があります。例えば、学校へ行くことが常識で、その囚われの中で自分は学校へ行かないと選択した。」のであれば、主体性ではあっても、多くの人々が学校へ行くことが常識と思っている以上、囚われの苦痛からは逃れられない状況があるように思うからです。一方、他者の評価を全く気にせず、「学校へ行かない選択肢もあっても良いじゃないか。」といったような選択する力が育てば、それがエイジェンシーなのかもしれないと思いました。

自分(人)を再構成させていくメカニズムがこの本の中に盛り込まれているように思いました。

実際、ナラティヴの理解だったり、その効果は体験してみないと解らないことが多いと思います。しかし、本著から実際のナラティヴ・セラピーのある程度のイメージができたという感覚が生まれました。

 

ナラティヴ・セラピーの会話術: ディスコースとエイジェンシーという視点
ナラティヴ・セラピーの会話術: ディスコースとエイジェンシーという視点 国重 浩一

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 (E.F)

国重浩一著「ナラティヴ・セラピーの会話術」” への1件のフィードバック

  1. “C’mon Stu – By that reasoning, Goldman Sachs, the Teachers Union, Citibank, and the Realtors are all more dangerous than the NRA.”Some would argue that GS, the Teacher’s Union and Citibank are partially responsible for the massacre. Knowing that Corzine walks free sometimes gives me the urge to2̾…

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