私とカウンセリング by 中野則昭
私の場合,臨床心理士でもなければ,大学時代心理学を専門に学んだ者でもない。ただ,障害児教育に15年間携わった関係で,他の教師より少しばかり心理学を勉強しなければならない立場にあったに過ぎない。
そのために,学校の進動機構の中では,教育相談係を担当することが多かった。教育相談係は,特別活動の領域の中の生徒指導部に位置づけられており,県教育委員会は,生徒指導を円滑に機能させるために,カウンセリングの基本的知識や技量を高めようと研修会をたびたび開き,一方学校では,少なくとも学期1回は,学級の中で問題と考えられる児童生徒について事例研修会を持ち,児童生徒の理解の仕方や校内支援体制について,話し合ったものである。
さて,学校にはさまざまな問題傾向をもった児童生徒がいる。学習面・生活面・友人関係・集団生活への不適応・親子関係・非行さらには不登校・かん黙・・・・・等である。これらの児童生徒に対し,教師はより望ましく成長することを願い,一人一人を理解し,支援し,同時に集団の中で個人を支え合う雰囲気づくりに日々努力する。学級担任であれ,教育相談係であれ,スクールカウンセラーであれ,子どもの理解の仕方・支援の仕方等に専門性の違いはあるにしろ,将来自立できる子供を育てるという点では,同じだと考える。
しかし,今日のように児童生徒の問題行動が複雑化すればするほど,専門家の力に頼らざるを得なくなってきている。ただ,私が思うに,スクールカウンセラーにはスクールカウンセラーの立場があり,学校には学校の立場があることは理解できるが,「両者がいかに連携を深めるか」が大きな課題であるように思われる。カウンセラーには「守秘義務」があることは大事にすべきだが,学校は,教職員が情報を共有し,全員で対応したい気持ちが強い。できることなら,カウンセリングのわずかな時間だけではなく,学校行事や授業時間等の中でも相談者の状態を観察できるような雰囲気が出来ればと考える。そのためには,学校管理者の度量の大きさを望んで止まない。(カウンセラーの時間の許す範囲内で)