わたしのおすすめ本 by 国重
ドナ・ウィリアムズ著、河野万里子訳「自閉症だったわたしへ」「自閉症だったわたしへ〈2〉」新潮文庫
今自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)のことを興味深く調べています。一見不可解な行動をどのように理解していくのかという挑戦を、人類は受けているのだろうと感じます。自閉症スペクトラム圏内にいる人を愚鈍とみないしていくことがいかに浅はかなことであるのかということは、このような当事者の手記を読むことによって明らかになってくると思います。
一見明白なもの、当然なものを根底から疑ってみることは、絶えず意識し、自問自答することによってしかなされません。そのための気づきを広げていくためにはこのような本は非常に有効であると感じました。
また、学校で破壊的な行動や挑戦的な行動をおこなう生徒がいますが、この主人公もそのような状態があったようです。この関連性を通常は気づくことができません。教員を挑発し、暴力行動すらするような子どもに、自閉傾向を見いだすことは、そのことに対する知識がないと到底無理であると感じます。
診断名の問題ことですが、主人公のドナは内部に少なくとも二人の人格を小さい頃から作り上げていきます。社交的であるが破壊的な側面を有する「キャロル」と生き字引のような人物で、事実の世界に住んでいて、ひたすら知識を蓄積し続けてきた「ウィリー」です。この人格故に、統合失調症の診断を受けることになります。つまり、このような本を読むことによって、今までの診断に対しても疑問を投げかけることになることになります。
母親も非常に暴力的な人で、子どもへの愛情ということをしっかりと示すことができずにいました。虐待をしていた状態であったと言っていいでしょう。ドナは、母親にも自分と同じような側面を見いだします。現代の診断基準に照らし合わしたら、この母親は境界性人格障害として見なされる可能性があると思います。
このような文章を読めば読むほど、反社会性障害、多動性障害、統合失調症、境界性人格障害などの名称を与えられた人たちに、自閉傾向の側面が見えてくるような気がします。現時点では、どこでどのように区別したらいいのか私の中では明確になっていません。ただ、表面的な現象の陰に隠れているものの、自閉傾向がかなりの役割を持っているという印象を、今私は持っています。この辺のことは、カウンセラーとして仕事を続けていく以上、追い続けていきたいと願っています。