私とカウンセリング(43)by 江田照美

 今、志學館大学の保健室で、健康管理を行いながら、臨床心理士の先生方と学生との相談を取り持つ仕事をさせていただく中、心理士の先生でなくて良いから『今』聞いて、と言う学生の話を聞かせて貰っています。つたないながらも、話を聞いているときは、ただ相手のほうをみて、表情を見て相手に焦点を合わせる感じで、集中します。相手の気持を感じれるわけでもないし、なにを考えているか判れるわけでもないけど、相手の表情や言葉を切っ掛けに、自分の追体験を掘り起こしていく感じす。逆転移を起こしたときは、その感覚をチェックします。気になった感情をたどることで、「話している現象」を以って何を伝えたいのか、自分なりの感覚で方向を探れる可能性が出てきます。そうして、表現したい感情を口に出せるように、配慮します。時間を追ううちに、固い顔で入って来た学生の顔が解れ笑顔が現れて、終了の時が来たことを感じます。時には、その気分変化の経過とかを聞きたいと思うこともありますが、それをやったら、今笑顔になった本人の気分を害するであろうと抑えます。ただ、現在、どんな気分で、何か言い残したことはないのか、相手をした私に対して、何らかの違和感や、伝えたいことは無いのか、一言聞くようにしています。その関係性の中で、自己価値観の低い私が、自己感覚を頼るしかないことを迫られて、唯一「自分を肯定できる瞬間」であることを感じています。怒りながら、あるいは、不安そうに、あるいは、涙ながらに語るその学生達を見て、その人生に付き合わせてもらえることに感謝の念を覚え、「オシ、聞くぞう!」と元気が出ます。
 カウンセラーという「人間」に興味を持って憧れて、現在ほんとに素敵な方達と一緒に学ばせていただけて、こうして話を聞かせて貰える時間に巡り合えて感謝しています。学ぶべきところはいっぱいあって、手直ししていかなければならない所もいっぱいあって、しかし、今は、やれることを少しずつ、するしかないと考えています。