エッセイ

「世間」話 by 国重浩一

「パノプティコン、もしくはパンオプティコン(Panopticon)とは、邦訳すれば全展望監視システムのこと。全てを(pan-)見る(-opticon)という意味である。」これは,「フランスの初期の監獄建築で、獄房に収監された囚人がいつ看守に監視されているか、いないのか分からないままに、すべての方向から監視されているという監獄建築。ミシェル・フーコーが『監獄の誕生 監視と処罰』で、それを転用して、社会のシステムとして管理、統制された環境の比喩として用いた。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 ここ囚人達はいつも監視の目にさらされていると感じているが,この監視の目を「まなざし(Gaze)」と呼んでいます。この「まなざし」が人々に与える影響を考えていくと日本の「世間」という言葉にぶつかります。つまり,両者とも人々が社会規範を外れないように監視の役目をしていると言う点で一致するからです。
 そもそも,日本にSocietyと言う言葉が入ってきたときに,古来からあった「世間」を用いず,「社会」という言葉を当てています。『家族を単位とし、他人の間に上下関係のある日本社会では、「世間」という言葉と違い、「社会」という言葉には実感が薄い。「社会」という言葉は、明治になって英語の society などの西洋語を翻訳する必要から、中国でともに「仲間」を意味する「社」「会」の二字を組み合わせて新たに創られた言葉である。西欧での society とは、対等な個人同士により成り立っており、個々人の力で変えることができると考えられているものであるが、それにふさわしい実状が日本にあるかどうかは、今も疑問である。しかし、「世間」という言葉は日本人の心にはフィットする。個人の間の関係は対等ではなく、個々人の力を超えて厳然として存在する「所与(与えられたもの)」が「世間」と考えられているからである。(http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/seken.htm)』
 この世間は,わたしたちの行動に広範囲にわたって影響を与えているものです。世間が我々の行動の善し悪しを判断しています。わたしたちの行動を導いてくれるものは,道徳,倫理,規範,八正道,理性ようなものだけではなく,世間というものがかなり影響を及ぼしています。自分のことを考えて見れば,そのような部分があるのに気づくはずです。たとえば,世間体を気にして,世間に申し訳ないと言う思いが出てくるし,,「なんと思われるだろう」「なんと言われるだろう」というのが一般的な想いとなっていきます。
 この世間というは面白い性質があります。(1)はっきりした主体がない : どこで誰がこの世間を決めているのかわかりません。(2) 世間の判断はいつも変わる可能性があると言うこと : たとえば,体罰のようなものは,善悪の判断基準がしっかり変わったと言うよりも,世間が許してくれないのでとりあえずしていないようなものです。(3) 世間は比較的固定されたグループの中で共有されている : これは面白い性質で,特定のグループ内だけに共有される世間の価値観があります。たとえば,お役所の掟の様な書物がでていますが,その中で固有の世間があり,そこでは非常に強力な影響力を持っています。しかし,一歩外に出ると,なんの影響力もありませんし,非常に奇異に映ります。
 わたしたち子育てをするときに,多くの親が「人並みに」「世間並みに」という気持ちで子育てをしますが,平均的なことで満足などされないで,それがいつの間にか「できる限り多くの」「できる限りたくさんの」という意味に変わって我々の行動に影響を与えてきます。
 子育ての話をするときに,親が子を縛っているのではなく,親が子に縛られていると言うことを考えておく必要があります。たとえば,結婚して,DVのようなものがあって分かれるようと思っても,子供のために我慢しなさいとなります。また,活発すぎるような子供を持つと,いつ外で問題を起こしてくるのだろうかと不安に駆られたりまします。
 子供育てについて,親の気持ちを聞くと「元気にたくましく」「いろいろな経験をしてほしい」と言う希望がかなり聞かれます。実際に出てくる言葉が,「私はこんなことを言いたくないけど」とつづいて,みんなが勉強しているから,勉強しないといけないでしょ,高校にはいっておかないとと言う言葉になってしまいます。親の本当の希望通りにしたら,子供が結果的に嫌な目に遭うのではないのか,と思うし,責任も感じる。子供を大事にすると言うことで,子供を拘束し,そして,そのことで自分が拘束されている。
 最近の子供はその辺をよくわきまえているようで,何か問題行動を起こしたときに,親に言わないでください。理由を問うと「怒られるから」ではなく「心配させたくないから」という話を何回か聞いたことがあります。
 このことが親子関係にどのような影響を与えているかというと,肝腎の話を子供がしたいときに。親が「世間」の立場に立って話すとき,子供は話を聞いてもらえない,または理解してもらえないと感じます。
 カウンセラーとして,「世間」がそのことを言わないとどのような目で私のしていることを判断するのか分からないから,言ってしまうことがあり得ます。程度の差こそあれ,実際に「世間」の言いなりになって,行動していることがあるはずです。このことをすべて回避して生きていけないとは思いますが,この「世間」または「まなざし」の言いなりだけになって,このカウンセリングをしてはいけないと思っています。