私が適応指導教室の指導員として不登校の児童・生徒たちと関わるようになって10年になります。若い頃の小学校教員の経験から,再び期限付き教員としてほぼ10年余り,たまたま期限が切れた時のことです,本町は適応指導教室を発足して間もなくのこと,女性指導員の穴埋めが必要でした。3ヶ月だけでいいのでと頼み込まれたものの,いざとなると,不登校の児童・生徒たちを置き去りにして私だけ学校復帰はできないと思ってから10年が過ぎました。
この仕事に関わって2年後,なんと私の末娘(長男、長女,次女)が高校で不登校になりました。私は娘のために,この仕事をすることになっていたのかと後で思ったのですが,その時はどうやって娘を支援するかで一生懸命だったような気がします。まずは娘を落ち込ませない工夫,家庭での話し合い,そして担任の先生や部活の先生との連携が功を奏して6ヶ月の不安定な時期を乗り越え完全学校復帰ができたのでした。多くの人たちの支えで,元気になった娘でしたが,その頃は高校にはスクールカウンセラーの配置もなく,その翌年から配置されるようになりました。
私が関わってきた不登校の生徒たちも苦難を乗り越え,高校へと進学していきましたが私の不安は何といっても昼食時間のことでした。(娘がいちばん辛い時間はお弁当食べる時でJRを利用し自宅に帰って再び登校していましたので)こうやって多くの生徒たちを見守りながら彼らの高校生活にはとても興味があります。
ところが神さまは私の思いをキャッチして下さるものなのですね。3年前のある日,近くの私立高校からスクールカウンセラーの話しが舞い込みました。この10年間,放送大学やあちこちで心理学の勉強会で学ばせて頂きながら,不登校の児童・生徒の心を少しでも理解し支援していくこと,そして私がそうであったように保護者の苦しさを少しでも分かち合いたいという思いで適応指導教室と高校のこの仕事に取り組んでいます。
私は高校の相談室を「ほっとルーム」と名づけ,保健室との連携で,不登校気味の生徒たちの居場所作りを行っています。個別の生徒や保護者のカウンセリングを中心に,昼食時間と放課後の一定の時間をティールームとしてくつろぎの場を確保しながら,ピアカウンセリングを行っています。
今,私が感じていることは児童・生徒たちはまずは安心する場所と人が必要だということ。その児童・生徒たちを一生懸命受け止めようとしている保護者を支援すること。その悩みや問題を先生方やいろいろな方とのチームワークで見守っていくことだと思っています。不安にうちのめされそうになることも多々ありますが,元気になっていく笑顔は最高の喜びです。
この「鹿児島カウンセリング研究会」の中で理論的なこと,より専門的なことを教えて頂くことで,いろいろなことに気づかせて頂きながら新たな意欲につながっているような気がしています。専門用語や理論的なことは頭の中で,なかなか整理が追いつかない状態ですが・・・・