私とカウンセリング by 堂原洋子
このテーマについては大学院入試の頃考えたことはあったが,ゆっくりとした気持ちでしみじみと思いを馳せたことはなかったので新鮮な感がある。初めてカウンセリングと出会ったのはもう随分前である。社会福祉を学んでいた学生時代のことであるが,心理学の授業が多くおまけにカウンセリングの授業まであった。ケースワーカーや保育士を目指していた私たちにとって,現実的で手応えのある社会福祉の科目と比べて,心理系は今ひとつ手応えが感じられなかった。いくら箱庭療法の治療プロセスを説明されても,治癒について聴かされても,何度カウンセリングの練習をしても型に入れられたような,取って付けたような感覚があり,授業の後に友だちたちと話題にしては多少軽蔑の意味も込めて笑い転げていた(因みに箸が転んでも笑いたい年頃であった)。要するにカウンセリングについては,それほど真面目に向かい合っていなかった。その後,長く社会福祉の世界に身をおき,またカトリック教会の中で多くに人に関わってきたのであるが,関われば関わるほど人の心がよくわからない,心のしくみもよくわからない…。そこでまた一念発起して心理臨床を学ぶこととした。
院修了後は宮崎の短大で教師として働く傍ら,高校でスクールカウンセリングもした。今は,学校にスクールソーシャルワーカーも入っているが,その必要性を痛感しながら新米カウンセラーはどの立場で振る舞ったらよいのかわからずぎこちない仕事をしたような気がする。クライエントの必要性に応じて柔軟に対応したらよかったのかなとと思う。現在は純短で学生への講義が中心ではあるが,学生支援,高校生のカウンセリング,その他の相談が入ってくる。難しいケースに出会うと一人で悶々と悩み,「仲間が欲しいな〜,誰かに助けてもらいたいな〜」と思っていた頃,昨年の心理臨床学会で「鹿児島メンタルサポート研究所」を目にし,お世話になり始めた。
相変わらず心の中のことはよくわからない。それでも,勉強する以前にくらべて明るい気持ちというか視界の明るさを感じながら,わからない世界と向かい合っているような気がする。フロイトやロジャーズの理論をベースにしながら,馴染みのある遊戯療法,箱庭療法,芸術療法を使いながらクライエントに関わっていきたいと思っている。どうぞよろしくお願いします。