私とカウンセリング by 国重
「100%確実なもの」
「バカの壁」のシリーズのどこかで養老孟司さんが、世の中には100%確実なものはそんなにあるものではない、人間いつかは皆死ぬことぐらいではないかということを書いていました。このときに他にどのようなものがあるのか考えましたが、私も思い当たらなかったです。
最近になって、学力と言うことについていろいろと考えていましたが、学力には確実なものが潜んでいると思いました。
学力の善し悪しを判定するためには、テストの点数を比較していきます。テストが異なるときには、標準偏差を用いてテスト間に生じる問題の難易度を補正します。全国統一模試のように、すべてが同じテストを受けている場合には、素点を比較することができます。その際にも、平均より上なのか下なのかを知るために、平均値を取っていきます。
さて、このようにテストの結果を受けてから、平均値を出し、順位を出していくもに関しては、「絶対必ず」順序が出ます。つまり、トップとビリを必ず生み出してしまうわけです。
そして、何らかの取り組みによって、ある学校/市町村/県が成果を上げて、「学力」をのばしたとしましょう。その学校は順位が上がりますが、「絶対必ず」下がるものが出てきます。全国ですべてのところが学力向上のために様々な努力をしても、ほぼ半分のものが平均点よりしたになります。これは、平均というものの定義ですので、学力を平均点で見る限り「絶対」このようになるのです。
つまり、この視点では、すべてのものがOKになることは「絶対」ありません。標準偏差で、平均の中央にいると見なされるのは、全体の68%です。上に16%優良なグループがあり、下に16%劣ると見なされるグループがいます。ここで、中央にいる人たちもあまりOKという気分にはならないのが興味深いと感じています。私の娘もだいたい平均点より少し下を取ってきますが、「みんなと同じぐらいとれているね」というような安心感はないです。
それでは、上の16%のグループはどうでしょうか? このグループの人たちは、うかうかしていると下がってしまうという心理的なプレッシャーにさらされています。その上、このグループの人たちはこのグループ内で競いますので、このグループ内での平均値(順位)がのしかかってきます。このグループ内で16%の劣ると見なされるサブグループに入ってしまう可能性があるのです。たとえば、ラサール高校に入るだけでも、一般的には優良なグループに所属していると見なしていいはずですが、ラサール高校内での平均値(順位)を前に多くの優秀な人が「十分ではない」と思っている、と想像をすることは可能だと思います。