私とカウンセリング 68

私とカウンセリング by 青山高志


今思えばカウンセラーになる決心をしたときから、私は運がよかったと思えます。家族を持っていたため、ずっと仕事をしながら勉強してきたのですが、准看護学校は男性を数名しか合格させない時代でありながらも入学できましたし、高看護学校は公立で競争率が高かったにもかかわらず入学できました。もともと勉強嫌いで高校まで全く勉強してこなかった自分にとっては奇跡としかいいようがありません。正直言いますと看護師になるのが目的ではなかったので、看護学生時代は授業中に窓の外を眺めていたり、頬杖をつきながら寝ていることが多かったです。実習レポートも期限切れに出すことが頻繁で、実習教員から「あなたは(先生)をナメているの?」と叱られたこともありました。しかし単に、仕事、家庭、学校の両立と多忙な毎日で時間的な余裕がなく、唯一、学校が一息つける場所だっただけでした。当然のことながら学校でのテストの成績は赤点が多く、再試をよく受けていました。ただ不思議なことに全国模試では成績が良く、全国で100位レベルに入った学生は学校でも今までにいなかったほどの快挙だったらしく、学校の先生方は驚いていましたが、私としては成績よりも臨床で実践できるかどうかのことの方が重要だと思っていました。学校の成績ではビリから2番目なのに、全国模試では県内のトップから2番目で、同級生も「いつも授業中は寝てばかりいるのに何で?」と不思議がっていました。自宅では心理療法の勉強ばかりで、看護の勉強はテスト前に一夜漬け。それでもなぜか成績が良かったのは、内科・外科・精神科と実践の場で働くことを通して学んでこれた経験があったからこそではないかと思います。
保健師養成学校も受験しましたが不合格。原因は、全日制の学校なので働きながら行けない現実があり受験対策の勉強をしなかったからです。しかし看護師の国家免許を得てからは、集中して心理学の勉強ができるようになりました。産業カウンセラーの受験日は、行く途中で受験票を自宅に忘れたことに気づいて試験会場に電話連絡し、試験の順番を変えて頂き、何とか間に合って受験でき合格。宮崎県の通信大学にも入学でき、スクーリングの時には車の中で寝泊まりし、カウンセリング・心理療法・医学を中心に単位を取得。大学には車で片道5時間かかるため、卒業式は行くのが面倒で欠席。後に学位証・卒業証書が送られてきました。私はただ、大学卒の肩書はいずれ役に立つかなと思っていた程度でした。
精神科病院を退職し、次は精神障害者の職場復帰を支援する職場で様々な心理療法の実践をさせて頂きました。その時期に教育電話相談員の求人も知り、それまで医療現場でしか経験のない私はダメ元で面接を受けたところ採用されました。その後、またダメ元という気持ちで、県と市の教育委員会にスクール・カウンセラー希望と履歴書を提出したところ、数ヶ月後、先に県の方から採用の連絡があり、スクール・カウンセラーになれました。これらすべては奇跡的なほどに運が良かったことと、それ以上に、私に関わってくださった多くの方々の出会いやご縁のおかげであると今でも思っています。
実際、私としてはカウンセリングや心理療法関係の仕事をすることが出来れば、職場はどこであろうとそれで十分でした。しかし、カウンセラーとして仕事を始めてから、あらためて感じたことは本来自分自身に心理の専門家として適正や能力があるのか、いまだに判りません。なにせ記憶力も悪く、頭もさほど良くなく、凡人だと思うからです。それと、運の尽きなのか両目を悪くしてからというもの、以前ほどに勉強できなくなったのは残念に思います。そうであっても、今やれるだけのことはやってみて、限界を知って無理だと思うときがきたのならば、あきらめて別の違う世界を探そうと思っています。