私は20代半ば頃からカウンセリング(心理療法)に興味を持ち始めましたが,数多い学派の中でも特に交流分析に心を惹かれました。医療現場にいた私にとっては,とても入りやすく理解しやすいものでした。もともと交流分析はアメリカの精神科医バーンが提唱した精神療法で,その理論的背景には精神分析がベースとしてあり,日本の心理臨床では主に心身医学(心療内科)の分野に取り入れられました。心身医学的心理療法はもともと催眠療法,精神分析療法,行動療法等を中核としていたらしいのですが,90年代中期に入ると催眠療法にかわり自律訓練法へ,精神分析療法にかわり交流分析療法へと,患者自身が自らの心身をセルフコントロールする技法へと変わっていったようです。また,自律訓練法や交流分析療法は集団療法としても行えるという利点が,この忙しく短時間の外来診療をより効率的に,かつ利益も得られるものとして,受け入れられるようになった要因でもあるようです。
私は,この交流分析を中心に勉強していたのですが,実際のカウンセリングとなるとそれだけでは難しいと感じるようになりました。つまり,理論の背景になる精神分析も知らなくては不十分だし,技法としても行動療法やゲシュタルト療法なども取り入れているので,これらも出来なくては十分に応用できない。そういうこともあって,あれも知らないこれも出来ないといつまでたってもカウンセリングに自信が持てない状態が続いていました。しかし,30代に入った頃から基本的な態度としても技法としても,まず来談者中心療法から学ぶべきものがあるのではないかと思うようになり,今までの他者分析的な理解の仕方はとりあえず置いておき,他者受容的な理解の仕方を学ぶことにしました。それにしても来談者中心療法では,パーソナリティ変容のために必要にして十分な条件として,真実性,共感,受容などを挙げていますが,これらを言葉としては知っていても態度として身につくには,まだまだ及ばないところがあります。来談者中心療法の理論が自分にとってただ理想論としてではなく,ある程度自己一致できる日がくればという思いで勉強しています。
現在このカウンセリング研究会で力動的精神療法を学ばせていただいておりますが,来談者中心療法の創始者ロジャースも,もともと精神分析を学んでいたこともあってか,理論や技法的にも何かしら通じるものがあるように感じられます。「精神分析を批判する学派は,フロイトの肩に乗っているからこそフロイトの見えない先まで見えて,ものがいえるのだ」というようなことをアドラーという精神科医が言ったそうですが,交流分析をはじめ,やはり多くのカウンセリングの源泉は精神分析なのだなぁという思いで,本を手にしています。
2006年09月30日,No.40