私とカウンセリング 131

私とカウンセリング by 清原浩

私がカウンセリング的世界に意識的な注意を向けたのは、鹿児島大学に赴任して、障碍のある子どもの親の方々の相談を受けてからかな、と思います。その場所は大学の研究室で、あるいは教育委員会が実施している就学時の教育相談のときに、ということでした。40年ぐらい前でしょうか。しかし、まだまだそのときは、そうしっかりした定見もなく、必要に迫られて、とにかく相談を受けるといった状態でした。

その後、臨床心理士制度ができ、論文審査だけで資格が取れるという時期でしたので、軽い気持ちで資格を取りましたが、それとスクールカウンセラーもするようになったことをきっかけに、せっかく相談的な仕事をしているのだから、「ただなんとなく」するのではなく、カウンセリング的世界を深めたいと、しっかり思うようになりました。20年ぐらい前でした。

そうした状況の変化のなかで、さらに、頼まれて福岡で月1回1年間を通して、社会人を対象とした「カウンセリング講座」をすることとなりました(現在は福岡に加えて延岡、鹿児島、佐賀でもしています)。福岡の講座はホスピス的社会を市民運動でつくろうという会が企画したもので、今年で19年目を迎えました。この講座を引き受けたことによって、一層カウンセリングの世界を理論的、実践的に深めたいと考えるようになりました。まさに、教えることは学ぶことでした。

また、今の鹿児島カウンセリング研究会の前身にあたるような研究会の立ち上げ(その会は中断しましたが)、そして今の鹿児島カウンセリング研究会の立ち上げとその研究会の継続も、私にカウンセリングの世界を深めなければ、との思いを持続させてくれています。

私に言わせていただくならば、心理療法、その一分野であるカウンセリングとは、結局人をどう変えるか、ということを理論的、実践的に進めているもので、その際に、本人を尊重するか(つまり本人こそが答えをもっているという前提で、来談者とカウンセラーが共同して答を探していく過程ととらえるか)、専門家が一定の仮説をもって、ということは専門家が主導して来談者を変えようとするかの違いによって、実践のあり方が変わっていくものと思います。筆者は、来談者が答えを、潜在的にはもっているだろう、との立場で理論化と実践を進めたいと願って、日々実践をしています。

 

秋桜 (Cosmos)