私とカウンセリング by 中原公子
「カウンセリング」に興味・関心を持ち始めたのは、いつ頃からだろうか。
青春時代の入り口では、人並み(?)に、片思い、勉強のこと、家庭内のいざこざなど「自分独りだけがこの悩みの中で、のた打ち回っている日々」の感覚であったと思う。大学受験を目指す頃になると「心理学」が頭から離れず、進学先は、当然、東京の○○大学の心理学科と何故か決めていた。が、ご多分に漏れず「家庭の経済的事情、女の子は地元で、短大」の親の言い分に素直(!?)に従った。ますます悩みは深まり広がる。悶々とした中、自らの志望でもあった教職への道も断念せざるを得ず、公務員の職に就いた。ここでもいわゆるカルチャーショックに悩まされる。
この間、誰かに相談したであろうか? 否である。数年が経ち、ふと気がついた。ここ(最初の配属先)には、あれほど憧れていた「心理学」が満ちあふれているではないか!結局、30年近い充実の年月を過ごすことになる。ある電話相談にボランティアとして関わるきっかけにも出会い(依頼今日まで25年活動している)、相談員養成講座で「傾聴」について学ぶ機会を得た。55歳を目前にして、放送大学へ編入学し心理系を修めた。定年後、ボランティア仲間の勧めもあり、産業カウンセラー、教育カウンセラー等の資格を取得し、微力ではあるが援助活動の一端を担うワークを続けている。初めてカウンセリングすることに要求される精神的なエネルギーはかなりなものであり、ここでも壁にぶつかり悩み、苦しみ、まるで修行の道を辿っていく感がある。
ある本に出会い、事ある毎にひもといている。その中で著書はこう述べている。
― 中略 ―カウンセラーになる道は、ある意味で「修行」の道です。なぜならば、私にとって、カウンセリングとは、相談に来た方(クライアント)が人生の様々な問題に直面し、苦しむことを通して、心の声に耳を傾け、多くの気づきと学びを得て自己成長をとげていく体験のプロセスであり、だとすれば当然、カウンセリング学習の中心も、クライアントが自己探索をおこない自己成長をとげていく、その体験の「器」としての、カウンセラー自身のこころを深く掘り下げていくことにあるからです。― 後略 ―
『はじめてのカウンセリング入門 下 ほんものの傾聴を学ぶ』諸冨祥彦著 誠心書房
「自己研鑽」を重く受け止め肝に銘じている昨今の私です。
はじめてのカウンセリング入門(下)―ほんものの傾聴を学ぶ | |
諸富 祥彦
誠信書房 2010-08-27 |