私とカウンセリング by 万福貞子
子どもたちや親たちのこころの思いを聞いて
平成7年から不登校の子どもたちと毎日過ごしています。それから今日まで彼ら彼女らが書き残した心の思いを紹介したと思います。
平成7年9月に通所するようになった中2の男の子
僕が児童体育館に来た日、何年か振りか親しく人と話した。万福先生と言う人、後他4名。
無論、胸の動機は止みようもない程高鳴り、しかし皆が実に新鮮に僕の目には映った。
現実と自分の中に描きあげた理想との間の深淵が、余りに絶望的に思われて仕方なかったが、この一見幼稚に見える集まりが言わば、雲間から垣間見た光明の様に素晴らしく思えた。朝の10時から15時まで、何の勉強もしない、ただ遊び放しの時間を過ごすのが、この場所で僕は初め、無論有意義な時間だったが、少し物足りなく思った。知識の欲求に駆られたのだ。当然……現代社会を見つめてみたいと思った。話が脱線したが、その知の欲求を促してくれたのが、皆と皆で過ごす時間は僕にとって同時に思考の喜びであった。(31歳 会社員)
大学に入学した女の子
私が高校を卒業した後の進路を、大学進学にした理由は、ただ「勉強がしたい」という思いからです。私は小学2年生の時からずっと不登校をしてきました。その反動か、西校通信制に入学して久しぶりに勉強をするうち、知らないことを知ることは楽しく、それが自分の生き甲斐みたいになっていきました。高校卒業まで一年を切ったとき「ここで勉強を終わりたくない」という思いが強くなり、進学を決めました。……国文学科では日本語、日本文学、中国文学を全般的に日本語教員養成課程では、日本語教育の目から見た日本語について勉強をしています。……好きなことを勉強することはやはり楽しく、大学に入って良かったと思っています。参考になれば幸いです。(30歳 主婦 韓国語通訳)
通所した母親からの手紙
そこにフリースクールがあって良かった。その部屋で先生は待っていてくれた。……不登校になった子の親は誰でも味わうであろう不安と地獄。日のさす時がいつか来るかと。同じ年頃の子を見かけるといつの間にか車の中で大声で泣いた。一度や二度ではなかった。そんな私をいつも優しく見守ってくれた。子どもは休まず通った。笑うことを忘れていた息子が声を出して笑った。少しだけ歌を口ずさむ様になった。鉛筆を持たなかった子が受験勉強の為の問題集を買ってきたとき主人とびっくりし、密かに喜んだ。先生は「かあちゃん心配しなくていいよ」と。みんなに会えて良かった。優しさをありがとう。ゆとりのない毎日を送るうちに忘れてきたものが有りそうで心配になった。そこでもう一度初心に返ろう、そしてもう一度子どもや保護者に会ったときの言葉かけや心からの叫びを聞きたいと思った。清原先生、研究会の仲間に入れてもらえたことがうれしかったです。そして多くの事を学びたいと思いました。よろしくお願いします。