私とカウンセリング 94


私とカウンセリング by 国重浩一

2002年11月にニュージーランドから鹿児島に移り、八年が過ぎました。この年月は私にとってどのようなことであったのかを考えたりします。

この間、心理カウンセラーとしての自分がしっかりしてきたように思います。ニュージーランドで、カウンセリングを勉強したものの、日本での臨床経験が無かったため、いろいろな面が手探りの状態でした。荷物を整理するときに、自分の読んできた本を改めて眺めてみましたが、日本のカウンセリング事情や不登校問題など、私がニュージーランドで扱うことができていなかった問題に取り組んできたのだと感じたところでした。この8年間、ほぼ毎日、相談にきた人などと会話をしてきたことの経験なのだろうなと思います。

そして、この間、私の心理臨床に「発達障害」という概念が組み込まれたのも大きなことでした。発達障害は、まだ概念として流動的な側面があるものの、その理解は私の臨床を大いに助けてくれるようになっています。

私のカウンセリングは、ナラティヴ・セラピーとそれを支えている思想(社会構成主義)に基盤をおいています。この関係においても、いくつか取り組めたことは、私にとって大変貴重な経験となりました。具体的には、本の翻訳、学会発表などです。この点については、今後も取り組みを続けていきたいと思っているところです。

さて、この鹿児島メンタルサポート研究所&鹿児島カウンセリング研究会は、私にとって大切な基盤となってくれました。いろいろと県内(もしくは国内)の状況が見えてくるうちに、下手にほかのグループに所属してしまったら、私は私の意思表明を十分できることができなかったのではないかと懸念するようになりました。それほど、「縦社会」という図式を垣間見てきました。基本的にさまざまなことをオープンに話すことを希望する私にとって、この場が良かったと感じているところです。つまり、私が安心して自分のカウンセリングの立場に立ち続けることができるために、この場が非常に大切だったと思うのです。

「今、なぜニュージーランドに行くのだろうか?」 この問いかけは、人にも尋ねられましたし、自分でも何度となく自問しました。大きな点は、やはり家族のことがあります。子どもたちの教育のためにニュージーランドに行きたいと考えたからです。日本の学校ではダメなのか? この問いかけに対しては、書きたいことが山とありますので、またの機会に譲りたいと思います。

次に、そろそろ私も次の領域に取り組みたいと思っている時期と重なっていることもありました。同じ領域で経験を積んでいくことは重要であるとは、理解していますが、それが惰性になってしまうリスクも持ち合わせています。そのため、自分の気持ちを切り替えるためにも、「そろそろ」違う分野でカウンセリングをしてみたいという思いが強くなっていました。

ニュージーランドでは、まだ何ができるのか不透明です。仕事が決まっているわけではありません。今年いっぱいかけて、ニュージーランドの動向を調べ、ナラティヴ・セラピーの最新事情に追いつき、仕事を探していきたいと考えています。最近は本を読む時間もあまり取れませんでしたので、じっくりと本を読んでいきたいとも考えています。

ニュージーランドに行くことの覚悟についてですが、ニュージーランドに移民することを聞く人がたぶん感じるほどには、実は持ってはいません。数年は、ニュージーランドに住む予定ですが、その後、仕事や家族の事情で日本に戻る必要性がある場合には、戻ればいい、そのぐらいに考えています。ナラティヴ・セラピーのワークショップや学会発表などもできたらしたいと考えていますので、時々は戻ってくる予定です。

この研究所&研究会とのかかわりも継続していきますし、引き続き私の作業分担もあります。会う機会が少なくなりますが、引き続きよろしくお願いいたします。

私がインターネットでオンラインの場合には、日本の電話でつながります。必要なときには是非連絡してください(050-5806-3604)。また、パソコンにインターネットとマイクがあれば、Skype(スカイプ)をインストールすると通話もできます。Webカメラがあれば、ビデオで顔を見ることもできますので、できる方は是非試してください。以下がニュージーランドの連絡先になります。