私とカウンセリング by 菊池美保子
“適応指導教室”難しい堅苦しい名称です。この教室の指導員という話しを頂いてから13年の月日が過ぎようとしています。当初「私は何をするのですか?学校に適応させるための指導をするのですか?」と尋ねた記憶がよみがえります。堅苦しい名称だと思うのはあの頃も今も変わりません。
この教室を私たちは通称“ふれあい教室”と呼んでいます。学校へ行けなくなった子どもたち(小学生、中学生)がやってきます。そして、まさに子どもたちは他者とふれあい、自分の気持ちとふれあい、いろいろな大人とふれあって元気になっていきます。
発足当初は、3~4名の子どもたちの受け入れからでしたが、毎年12~13名は下らず、多い年は25~26名の子どもたちの出入りがありました。部屋は公民館の一室で、12~3畳でしょうか?この部屋をベースに、いろいろな部屋を借りながら、居場所作りをします。
この教室に来所する子どもたちには強制という言葉は禁物で、いかに穏やかに柔らかく受け入れ、その空間になじませていくかが、当初の目標です。そして徐々に子どもたちが当たり前のように出入りすると「大きな声や音を出さないで。周りの人の気持ちを読み取って」などと、こちらの要求も増えてきます。
初回の面談(本人・保護者)、学校との情報交換に始まり、日々の活動計画に加え、定期的な体験活動(遠足・キャンプ・登山・スケート体験)を折り込みながら、一人ひとりを参加へと導いていきます。元気がなくなっていた子どもたちが、ある程度の時間をかけ、いろいろな体験を通して元の姿にもどっていく姿に保護者共々喜びを分ちあうようになります。そして、徐々に学校へ足が向くようになる子どもたちもいます。
私も以前は元気な子どもたちの集団をどのようにより効果的な教育活動を展開させるかで、日々追われている時もありました。我が子も不登校になったこともありました。
不登校となり、自己表現もできなくなっている子どもたちと関わるにはカウンセリング的な対応の必要性を感じ、教育カウンセラーという言葉に関心をもち、放送大学で心理学を学びました。いろいろな年代や個性的な子どもたちと接することは抵抗ありません。それまでの教育活動の中での複式、小・中・大規模校、特殊学級や養護学校(当時は)で経験させてもらったこと、また3人の子どもを育てたことも大いに役立っています。
当初はなにかしてあげないと、という気持ちでいぱいでしたが、今はこの子どもたちが、近い将来社会人となっていくために、今は何をしていけばいいのか、何ができるかを、本人や親の方とも話し合いながら、学校外のスペースで子どもたちを見守り、学校へとつないでいくことが、役目だと思うようになりました。
また、不登校になった子どもたちを持つ親の方たちの気持ちをできるだけ理解し、支援していくことも大きな役目かとも思っています。
そして、4〜5年前からでしょうか?発達障害と不登校のメカニズムもクローズアップされてきています。いろいろな子どもたちを受け入れていくには、もっともっと勉強し、柔軟な対応ができるようになること、また他の機関との連携や学校、家庭との連携の必要性を感じているこの頃です。