私とカウンセリング by 菊池美保子
最近よく、若い頃のことを思い出します。教職に就いたのが37年前になります。
今、あの頃を思い起こすと、“勉強を教える” “道徳心を育てる” “先輩の先生方に教えて頂く” そんな意識の中で夢中で教員生活を送ってきたような気がします。
結婚し我が子を育てながら、子育てがどんなにか大変なことで、子どもたちを学校に通わせることってかなりの労力を使うものなんだと思うことが度々ありましたが、これも夢中で過ごしてきました。 今、ここに至って私自身が育てられたことを痛感し、感謝の気持ちでいっぱいです。
今は我が家の子育ても、ほっと一息つき、これまでの子育てについて振り返り、反省することもたくさんあります。不登校や、子育てでいろいろな悩みを抱えている親の方々とふれあう中で、子どもを育てること、共に生きることに一生懸命であることに頭が下がる思いがします。
20年ほど前からでしょうか、カウンセリングという言葉をよく耳にしたり、不登校やいじめ、家庭内暴力、自殺など辛い状況がマスコミによっても報道されます。 最近はまた、それに加え、発達障害や認知症などという言葉を多く耳にします。私が子どもだった頃はいろいろな子どもがいましたが、今ほど気になる子の存在は少なかったような気がします。そのような子がいても暗黙の中で、その子を認め、取り巻いて共に育ってきたような気がするのは私だけでしょうか。
時の流れとともに、環境の変化は人の体や心まで変えてきているような気がします。科学の進歩は人の体のすみずみまで検査ができ、いろいろな予防もできる世の中になりました。でも病気の人たちを治すのは精密な機械だけでなく良薬だけでもなく、人と人との関わりや心のふれあいも大きく作用していくと思います。
不登校などの環境に適応できない子どもたちの中には、原因はこれだと断言できないケースも多い中、発達障害的なところが原因となっているケースもあるようです。悩みを抱えた子どもたちや親の方々と接するとき、今の状況をどう理解し支援し、共に生きることがとても大切だと思います。そして難しい問題でもあります。また家庭人として家族を考えた時、老いていく自分の身もそうであるのですが、身近に認知症という問題も切り離せないことになってきています。あの元気だった親が、てきぱき仕事をしていた親が、えっ なぜ? という状況が身近に起こってきています。
今はまだ人を支える力があると自分では認めている私です。さあこれからめぐってくる季節の中で、咲き誇る花に癒され、自分なりのリフレッシュを大切に、そしていろいろな人たちとの出会いの中で、共に支え合いながら、ゆっくり歩いていきたいと思うこの頃です。