私とカウンセリング(44)by 国重浩一

 ニュージーランドから帰国して四年が過ぎました。月日の流れの速さに驚くばかりです。ニュージーランドへカウンセリングを勉強するためにいけたことは,よく思い切れたなと今でも思っています。インターネットもそれほど普及していない時期でした。そのため,郵送などでいろいろな大学から資料を取り寄せて検討して,結局ニュージーランドのワイカト大学かカナダのトリニティ・カレッジに絞り込みました。後の難関は英語力でした。その時に朝4時起きして英語を勉強できたのは今思っても奇跡でした。しかし,TOEFLで600点,TOEFLのライティングで5.0を目指していましたが,結局足りませんでした。そのため,入学のために要求される語学レベルが少し低いニュージーランドのワイカト大学に決めました。後で,トリニティ・カレッジでも一年間のコースを別に取れば,大学院への道の可能性があると知りましたが,その時にはワイカト大学に決めた後でした。ニュージーランドに縁があったのでしょう。
 ワイカト大学でも,日本で大学院の入学許可をもらうことができませんでした。一年間の心理学コースをしたら検討してみようといわれた状態で,ニュージーランドへ行くことを決心しました。その当時山口に住んでいましたので,家電製品をすべて処分して,ダンボール10箱ぐらいの荷物を大学気付で送り,そのほかの荷物は鹿児島の家内の実家に預けました。文字通りワンウェイチケットで妻と2歳になる娘と一緒にニュージーランドまで行きました。10日間ホテルに滞在して,住む場所や娘の幼稚園など必要なことを手配して,勉強をはじめました。
 ニュージーランドで一年間の心理学コースをする予定でしたが,何とか頼み込んで半年にしてもらい,カウンセリング大学院に入れてもらえました。そのため,計画していた半年分の授業料と生活費が捻出できたので,妻を何とか説得して,子供をもう一人計画しました。この辺はおそれを知らずに突っ走ったような気がします。近くに住む中国系のニュージーランド人夫婦の助けなどを借りながら,何とか無事出産をすることができました。ちなみに,ニュージーランドでは妊娠の判定の時に医師にかかわってもらいましたが,出産まで助産婦の関わりだけでした。また,出産後病院に一泊して帰宅しました。
 ワイカト大学のカウンセリングコースで一番どうしようかと思ったのは,実習先を自分で見つけてこなければいけないことでした。学校では比較的受け入れてくれるという話を聞いたので,土地勘も顔見知りもないところで学校周りをしました。ニュージーランドと言うところは,飛び込みでいってやらせてくれるところなのかどうか全く知らなかったのですが,やるしかなかったです。結構外れましたが,最終的には語学学校で実習させてもらえることになりました。一年目は,この語学学校で実習しながら,スクールカウンセラーをしているドナルドのところでスーパービジョンをしていたので,翌年はハイスクール2校と語学学校で実習することができました。このようなものは何とかなるものだと感じたものでした。
 高校で非常によかったのは,ニュージーランドの中高校生は,私を「カウンセラー」と見てくれました。「日本人の」カウンセラーという面をそれほど意識しなくてもよかったのは意外でしたし,嬉しく思いました。人は真剣に話をするとき,発音の訛りなど気にならないようです。
 このカウンセリングの勉強はそれなりに大変でしたが,勉強と言うことに専念できる環境にあったので,何とかこなすことができました。英語も何とかなりました。2年目は,カウンセリングの実習をポートフォリオにまとめるのと卒論を書かなければならないのですが,両方の資料とも書き終わってみれば,A4で100ページ,英字数で一万語を越えるものになりました。書いた内容よりも,束ねられた紙の重さの方が印象に残ります。
 何かをするときに,よく調べてしてからと私も人には言うのですが,もしニュージーランドのカウンセリングの勉強で何が実際に待っているのか,実際に知ってしまったら,不安の方が大きくなり,行くことはできなかったのではないのだろうかと思います。
 意外に感じるかもしれませんが,ニュージーランドでは,日本と言う国,文化,風習,習慣などについてじっくり考えることができました。海外にいる方が日本人であるということを意識するようです。