私とカウンセリング by 清原浩
私はどちらかというと社会科学的な人間と思ってきた。社会科学的な人間とは、社会のさまざまな出来事を心の問題(心理的な問題)としてとらえるより、社会の問題としてとらえる傾向の人をいいます。「現代は心がすさんでいる時代」ととらえれば心理学的なとらえかたですし、「経済的なひずみが人々を困窮におとしめている」ととらえれば社会科学的な人間といえましょう。そのような私でしたから、心理学的なものの見方、さらには臨床心理学的なものの見方には、常に抵抗を感じてきました。心の問題の根底には経済的な問題が横たわっている、という考え方です。今でも、この考え方は強くもっていますが、ここ30年来、障害児の親の方との面談、そして不登校児とその親の方々との面談、その他心理的、精神的課題のある方々との面談、そして最近では引きこもり傾向にある青年との面談を通して、経済的な問題を背景に持っていたとしても、それだけでは思うようにいかない、心の世界の難しさ、つまり相対的に独自な世界の不思議さにどっぷりと浸かっています。
そして、考えるのは、結局人間という存在はどんな存在なのか、ということです。その人間の究極的な希望、願いに根ざしたカウンセリングこそが、人間を動かす力を持っているのではないか、ということです。それでは、人間とはどんな存在でしょうか。人間は認められたい、承認されたい、気持をわかってもらいたい、できれば人の役にたちたい、という願いを根源的に持って生きている存在ではないだろうか。もし、そうだとするならば、カウンセリングもこの願いにそって進めたときこそ、その人は元気を持ち、生き返っていくのではないだろうか。そんな気持で日々を暮し、また実感を深めているこの頃です。