私とカウンセリング by 菊池美保子
~新しい命との出会いから~
先日2月5日、予期せぬすばらしい出会いがありました。年末から出産のため名古屋から帰省していた長女が午前3時過ぎに出産の兆候(破水)があり、産婦人科へと向かいました。陣痛が弱いので出産までは時間がかかりそうと助産師さんに告げられ、自宅に帰り、そして職場へ出向き、仕事の準備をしていると「お産が始まるよ」との連絡があり、駆け込みました。
廊下で私と一緒に待つ二女(未婚)に向かい、助産師さんから「どちらかひとりどうぞ」と言われ、「やはり、私でしょうね」と分娩室へ。立会いを希望していた娘婿は名古屋からの帰省で間に合わなかったからです。全くお産の立会いを考えていなかった私は戸惑いながらも、左手で娘の左手をしっかり握り、右手では娘の額の汗を拭いてあげながらの立会いです。手慣れた助産師さんはすでに破水があった娘に最悪、帝王切開を考えた動きも見られました。先生は右手には何か金属の器機を手に持ったまま、陣痛促進剤の指示を出しています。陣痛が来るのを待つ先生と助産師さん2人。
そういう中、午前9時半頃から「もう少し、もう少し力んで」の声とともに的確な妊婦への指示があります。その横で私は自分の出産時、何を考えていたのかと思い出しました。私の場合、なかなか産まれない長子出産時に「鉗子分娩はやめて下さい」「吸引分娩もやめて下さい」「もう少し頑張ります」と言った記憶が蘇ってきました。そして娘に「赤ちゃんも頑張っているからあなたも頑張って」と3回ほどの大きな陣痛の度に声かけをしました。そして胎児の頭が出てきました。助産師さんの「もう一度頑張るんだよ」の声かけのあと、全身が出てきました。そこにほっとした娘と私。先生と助産師さんの動きは止まることなく、次の処置に向かいます。赤ちゃんは近くの処置台へ。そこで泣き声が聞こえました。助産師さんに誘われ、私も立ち会います。赤ちゃんに声をかけながら処置される助産師さん。私も「よく頑張って生まれてきたね」と赤ちゃんに声をかけました。赤ちゃんの力強く泣き、動く様を見ることができました。
あの産みの大変さ(産み出そうとする母体と生まれようとする胎児)を見ながら、人はみんなこうやって母親と一緒に苦しみながら、この世に生まれるのだと認識させられました。三度ほど経験した私の出産時には感じなかった何かがありました。
日々、学校に行けない子どもたちや、いろいろ悩みをかかえて苦しんでいる子どもたちとともに過ごしている今、あの子、この子と子どもたちの顔が浮かんできました。子どもたちはみんな母親とともに頑張って生まれてきたのだと思いました。
私の尊敬するアーティストのひとり、さだまさしさんは、コンサートの終わりに必ずこんなことを話されます。「みんな、生まれるとき右手に元気、左手に勇気を持ってこの世に生まれます。元気と勇気は使えば使うほど増えて効果がでてきます」と。私は生まれたての赤ちゃんの手に元気と勇気を見たような気がしました。そして元気と勇気を増やしてあげたいと思いました。
また私は母親から、「あなたが生まれてほっとしている時にラジオから流れてきた“今日は皇后陛下がお生まれになった日です”という言葉を忘れない」と何度も聞かされてきました。誕生日の度にこの言葉を思い出す時、私は母から生まれ、愛情をもらい育ち、そして3人の子どもを産み育て、また、私の子どもが子どもを産むこの営みに母として、人として、何とも言いがたい絆と命のバトンタッチを感じます。
今、不登校や悩みを抱えている方たちと出会い、これまでに自分も悩んできましたが、思いもかけない娘の出産に立ち会い、すべてが「産む。生まれる。」ことから始まったことを再認識しました。
「産む。生まれる。」の瞬間の環境や出会いは様々でも、その後の育つ環境や出会いが様々でも、「産む。生まれる。」時の苦しみは人それぞれにあったのです。
五体満足があたり前と思い、出産し、子育てしていた若き日の私。今、周囲での出産や我が子の出産・子育てを見ながら、あのようにともに苦しみ生まれてきた子どもたちは、平等に自由に生きていく権利があり、親は育てる権利と義務があること、そして私たちは社会人として、応援していかなければと改めて決意することです。
情報も幅広く入手できる昨今、何をどう選択していけばいいのか悩む若い人たち。古い考えの私たちのアドバイスをどこまで受け入れてくれるのかわかりません。でも、親と子の絆と思いは昔も今も変わらないのではと思います。
さて、今、私にできることはと考えます。子育てで悩む人たちと共に悩み考え、心のサポートができればと思います。新しい命との出会いの瞬間に感謝です。