今年度で、鹿児島カウンセリング研究会は、23周年。2002年から開始で、その後、清原先生の退官(鹿児島大学教授)を経て鹿児島メンタルサポート研究所を設立(2007年に設立)。現在は、開業され、心理学講座(詳細は、㏋に記載)、他にも鹿児島大学名誉教授として、鹿児島のみならず公演、講話、大学や専門学校などで教鞭(障害児教育や臨床心理学等)をとっておられます。本研究会も新しい方が沢山入会され、本会スーパーバイザーでいらっしゃる清原先生は、どのような方なのか、興味を持っていらっしゃる方も多いと思います。今回は、清原先生(以下、先生とします)をインタビューやエピソードを通して、ご紹介したいと思います。以下『 』は、先生の言葉です。
先生は、1941年(昭和16年)6月4日に東京で、ご生誕されました。現在、83歳です。当たり前ですが、この6月でなんと!!84歳‼になられます。『この年の12月に日本軍が真珠湾攻撃をしたので、第二次世界大戦に生まれたということです。終戦の年が4歳で、少し、東京が真っ赤に焼けている記憶があります』戦争を知らない私たちの唯一の生きる遺産ですね!さて、お生まれになった家は、両親と10人兄弟で、その9番目だったそうです。しかし、お父様は、5歳の時に早世され、研究会の折に、『父親が居なかったので喧嘩が出来ないんですよ』と言う言葉を何度も伺います。なんと!東京大学(教育学部)へ進学されました。そして、博士課程に進まれ、大学院を修了されました。その後は、障害児施設に就職され、すぐに鹿児島大学といくつかの大学からのお誘いもあったようです。『最初に鹿児島大学からお声がかかったので、鹿児島へ行くことにしました』というお話は、とても興味深く聞き入ることでした。ちなみに先生のご結婚は、大学を卒業した年(23歳)だったそうです。現在の奥様との出会いを親睦会の折に、伺ったことがあります。『彼女は、当時高校の英語の先生で、会話の中で生意気なことを言うなぁ』と言うのが先生の印象とのことでした。先生は、どうやら、生意気で勝気な女性が好みのようです(笑)。子どもさんは、娘さんが3人とのことです。鹿児島大学に勤務されながらも、沢山の活動をされておられて、中でも麦の芽福祉会の理事長を長年兼務されて来られました。現在は生協グループと麦の芽福祉会の共同の組織「福祉生活協同組合むぎのめ」の理事長をされておられます。私自身も麦の芽福祉会の評議員(鹿児島メンタルサポート研究所所員として)をしておりますので、その際、先生は、司会進行を毎回わかりやすくしてくださる姿があります。研究会での話が分かりやすいので先生の司会進行も想像できるかと思いますが膨大な資料をかいつまんで簡単にわかりやすく説明してくださる姿は、毎回、「流石!」と感じます。また、先生は80歳の年に、瑞宝中綬章(勲章)を受賞されました。私たちにとって、大変誇らしい大きな出来事でした。会員の皆さんへ勲章を触らせてくださったのも嬉しい思い出です(その時の新聞が当会㏋に載っています)。
最後に先生の趣味などを尋ねてみました。先生のご趣味は、『キャンピング』とのことです。よく、奥様とのエピソードをお話されることがあります。セッティングや料理は全て先生がされるとか…。また、先生の座右の銘は、『<少欲知足>(しょうよくちそく)=禅の言葉らしいですが、人への期待(欲)は少なく、しかしその人がやってくれたどんなことにも大いに感謝(足るを知る)。期待は少なくても、その人への対応は親切、丁寧に。と言った意味だそうです)』。この言葉通り、些細なことでも先生は必ず感謝のメールなどを下さいます。これは、模倣し、自分の物にしていくのに値しますね!まだまだ伺いたいことはたくさんありますが、今回はこの辺にしたいと思います。
先生、いつまでもお元気で私たちをお導き下さい。