私なりのカウンセリング理論 清原浩(所長)

私とカウンセリング 「私なりのカウンセリング理論」

 私が鹿児島大学にやってきたのが32歳ぐらい、そして学生達と一緒にプレールームに来て下さる障害のある子と親御さんへの支援を始めたのが40歳ぐらいからだろうか。学生はプレールームで一定の理論仮説のもと子どもとかかわり、その結果を卒業論文としてまとめる。同時並行して私は親の育児相談に預かる、という研究・教育スタイルが確立した。この育児相談がカウンセリング的かかわりのはじめと思う。とすると、カウンセリング的なことを始めてから、はや40年経ったということになる。

 はじめ、子ども変える(成長発達を実現する)。親御さんの悩みを受け入れつつも、親の育児姿勢を変える。つまり変えるということにこだわっていたと思う。そのうち、不登校の子どもとその親の方々の来談も増え、ますます変える(再登校を目指す)という意識にとらわれていたように思う。しかし、段々、「変える」という意識に疑問を持つようになった。「相手を変える」というのは、とても傲慢な姿勢と思うようになっていった。また、「人を変える」というのは至難の業だとも思うようにもなった。

 とすると、私たちがすることは何かを考えた。やるべきは、一人、一人違うその人々の深いところでの希望や願いをくみ取り、その希望や願いを実現できるように、一緒に考え、一緒に行動することだ、と思うようになった。一人一人の希望は表面的なところから、本人も気づいていない深いところまであり、その深いところを本人が気づき、語れるように援助するのがカウンセリングと考えるようになったのです。助言・忠告・提案はとても表面的なものになりがちで、「わかったけれど、やらない世界」になりがちかな、と思うのです。それに対して、心の底からの気づきは、自分自身を動かす力を持っていると思うのです。その力を引き出す営みが、カウンセリングかな、と思うのです。

 あと、もう一つ、カウンセラーに必要なことは、人に感動を与える魅力かな、とも思います。というのも、「わかることとすること」の間にある広くて、深い谷を飛び越す勇気をあたえるほどに、人を動かすものは感動かな、とも思うからです。理詰めで人は動かないのではないでしょうか。とはいえ、「感動を与える」というのも、難しいですよね。でも、私のイメージは、そう大したものではなく、カウンセラーそれぞれの個性が感動を与える力に当たるのかな、と思います。個性となると、その個性に合わない来談者の方もいることと思いますが、そのときは他を探してもらうしかないかな、と思います。でも、その個性に惹かれて、やってくる方も大勢いることでしょう。

 まあ、以上のようなことを考えている私です。