私とカウンセリング「鹿児島カウンセリング研究会20周年」 by 福﨑英子
本年(令和4年)は、鹿児島カウンセリング研究会20周年を迎えました。20年を振り返り、先生との出会いを紹介したいと思います。今から20年前ですから、私も結構若く(36歳)、スクールカウンセラー(以下SC)として歩み始めた年でした。まだ、そのころまでは清原先生のことをよく知りませんでした。当時スクールカウンセラー協議会が県庁で催された時でした。先生は覚えていらっしゃらないと思いますが、当時この研究会を立ち上げられたスタッフのお一人で今は亡き先間敏子さんに、よくわからないまま先生のところへ連れていかれ、「これから研究会に入会します。勉強させてください」と一緒にSC協議会に参加していた國重さんとご挨拶したのが始まりでした。先生の初めての印象は、眼光が鋭く睨みが効く方といった印象でした。当時からよく先生は、「僕は喧嘩が出来ないんですよ」とおしゃっておられましたが圧倒的な存在感、威圧感それに加えて筋の通ったものの言い方で最初から皆さん喧嘩に負けていたと思います(想像ですが…)。その後は、先間さんに森永さんのところへ連れていかれ、研究会を一緒に立ち上げた方ですと紹介されました。先間さんや森永さんの後に入会して、20年が経ちました。カウンセリングの「カ」の字もしらないままに始めた仕事(SC)でしたが、毎回の研究会での先生のアドバイスが当時の私には、大きな即戦力になったものです(今でも即戦力は健在ですが…)。
当時の私は臨床心理士という方々の存在を、あまり知らず、ただ仕事があればそれでよいくらいの感覚でした。研究会を重ねていくうちに周りの方々の臨床に対する関心が深く、大きな刺激を受けて行ったものでした。そして、これからの学校の現場でも資格が必要と言われるようになり、自分に自信のない私は言い訳ばかりして、臨床心理士を天敵のように扱っていたように思います。しかし、食べていく為にも逃げてばかりはいられません。「やるしかない」という気持ちが、いつしか先生をはじめ周りの方々に励まされながら「チャレンジしたい」と思う心(力)が育っていったように思います。振り返れば、私自身全く自我の弱い人間でしたから、まさか雲の上の存在のような「臨床心理士」になんかなれるわけがないと思っていました。奨学金を借り、大学院へ行く決心をし、大学院を修了した後も試験に何度も落ちました。基礎が出来ていないのでそう簡単に受かるわけもないのですが…(笑)。また、当時の私は、長い間付き合っていた男性と別離を経験し失意のどん底にもいました。研究会のテキスト、ロジャ―ス選集が教えてくれました。「自分で出した答えが出産できない年齢になったとしても後悔しないのだ」と。とても勇気をもらいました。終わりにこれまで私を導いてくださった先生や常に励ましてくださった先輩方に感謝の気持ちを込めて、そしてこれからもよろしくお願いします。始まりの本を載せておきます。