私とカウンセリング 111


私とカウンセリング by 内村凉惠

以前、SCとして学校訪問をしていた時のことである。私に多くのことを学ばせてくれた男子中学生との出会いがあった。

彼は、父親からの虐待を受け、施設から学校にかよっていた。中学2年生、色白で幼い顔だちのやや細身のごく普通の少年だった。

私がそこの学校に到着するのは,昼食後の休憩時間であった。いつの頃からか、決まって校門のところで手を振っている彼の姿が目に入り、私の車が通り過ぎると走って追いかけてくる彼がミラーに写る。車が止まると「先生、今日は早かったね。(時には、「遅かったね」)それは、ぼくが持つ。」これが、彼の挨拶である。私の鞄をもって、先に立ち「心の教室」へ向かう。教室のいつもの所に鞄を置くと、大事業を終えたようにホットした表情で満足げに微笑む。

ここまでは、毎回同じことの繰り返しであった。

彼は、紙飛行機を折って飛ばすのが大好きだった。よく一緒に飛ばして、競争をした。彼の飛行機はよく飛んだ。私の飛ばない飛行機を修正したり、飛ばし方を教えたりしてリーダーシップを発揮した。何の悩みもない明るい少年のように見えた。

学校生活や施設でのことは、ポツリポツリとではあったが、あまり抵抗なく会話が成立した。しかし、家族のことに会話が及ぶと、決まって話題をそらすのである。「あの雲の名前を知ってる?」「先生は、どこの高校ね?」あわてて、こちらに質問を投げかけてくるのである。

夏休みの前、帰省するかどうか迷っていた。「帰りたいけど、あの女の人がいるし、お父さんがこまるかも・・・。」遠くを見つめて呟いた時の表情を忘れることはできない。彼は、新しい母親のことを「家にいるあの女の人」「ぼくには優しいけど、お父さんを怒らせる人」という。さりげなく、淡々とした口調で話す。

そんな彼も、「ぼくは、本当は勉強ができないんだよ。ここで国語の本読みの練習をしていい?」と、言うようになった。その頃から、「どもり」もなくなっていた。本読みは得意ではなかったが、やる気が出てきたことがうれしかった。

だんだん「心の教室」にいる時間が短くなり、「今度は理科だからいってくるね。」などと、元気な声で言い残して、学級へ向かうようになった。一年間が終わる頃には、「心の教室」で過ごすことは、ほとんど無くなった。

校門での出を振っての出迎えは、彼が卒業するまでずっと続いた。

今頃、どこかで「ぼくがやる。」と言いながら、あの人懐っこい人柄で、仲間と元気よくすごしていることであろう。