私とカウンセリング by 弓塲隆子
~ 地域社会に溶け込めず転校していった家族の事例~
A家族構成: 父(温厚)母(トラブルメーカー)長男(5年)長女(3年) 学校の状況: 市に隣接した山間部の小規模校(全児童37P個数20)
A一家は緑豊かな小規模校で伸び伸びとした教育を目指し、校区内に新居を構え、転校してきた。新居の敷地は広大で玄関にはテレビモニターもついた立派な家で、ご先祖の家を受け継いでいる地元できらきら目立っていた。母親は理想的な教育を目指しておられた。
学校創立は明治で自治会長を実行委員長とした120周年記念行事を2年前に済ませており、消防団を中心とした縦社会で伝統行事に熱心に取り組む地域であった。
学校は“緑の少年団”にも入っており、その活動にも熱心に取り組んでいた。
保護者は先祖より受け継いだ田畑を守り、公務員・団体職員・自営業・会社員等に従事していた。
転校してきて2・3ヶ月したころ長女の登校しぶりがはじまった。仲間はずれが大きな原因であった。それから暫くして長男の当校渋りも始まり、毎日のように両親との話し合いが為されるようになった。温厚な父親は地域に溶け込もうと努力をされたが、母親はなかなか溶け込むことができなかった。かといって地域を変えていくには、年齢的にも無理で、固い絆に結ばれた地域は彼女にとっては手ごわいものであった。
1年ほどトラブルがつづいたが、結局転校していった。
清原先生の“不登校児はいない”を読み、相談できる友人のいるこの会に所属していいる今なら、A一家を転校させずにすんだかもしれないと後悔しきりである。