私とカウンセリング(46)by 辻和子

最近の私の看護感を少し述べたいと思います。
カウンセリング講座での印象は?…シャープな印象とありまして少し驚いています。若い時からいつも何かしている性格でどちらかというと目立つほうでしたが情熱的でもあり、いつもこれでいいのか?これでは駄目だと考えている自分であり、改革が大好きな一面すごいことはできず夢を追いかけている毎日でした。
しかし最近、ある患者で妄想・幻聴で苦しみ内服も拒否し、幻聴が「死ね」と言う為、食事も入らず水物も口にしないし、薬にも不審をいだき、なかなか飲まないので病状が良くなりません…私は「苦しいねーつらいねー」とベッドの横に腰掛け、ただその手にそっとそえ背中を擦った。
その方にとって幻聴は恐ろしく・つらいものでもありますが、長い年月で身近な存在でもあり、心の拠りどころでもあった面がありました。私たち健常者にとって分かるようで理解しがたいところです。孤独の時その幻聴に話しかける姿は実在そのものであるのです。この援助を通し私は、感受性がありすぎで側にいると、自然と涙があふれてきている自分に看護婦なのに感情を表面に出すことがプロらしくない…なぜ泣くのか…自問自答しているのです。
患者に寄り添う行為こそ患者への接近かな…言葉を求めず気持ちを受け止め、側に寄り添うことと、ある精神科医の言葉でありその通りだと思います。でもクールでシャープな一面を持ち合わせているとは思いますが…
言葉かけも以前の私と違いストレートな物言いがなくなったなーと、この4年ほどはソフトに穏やかにゆっくりと解りやすいようにを心がけています。
年を重ねることは周りがみえてきて「なるほどそうですね」・「そうなんだーなー」と客観的にみれるゆとりもでてきたようですが、その人らしさを尊重することが自然にできている自分に喜びを感じる今日です。
また、こんなこともありました。ある患者が薬を自分で管理しているのですが、怒りっぽくなりもしかしたら薬を飲んでいないかもと、現場をみていないがその人に「薬は大事な治療ですよ飲みましょう」と強い語調だったのでしょうか?
大学を中退していますがプライドがあられ、どのひともそうですが、、、その方に「怒って言ってはいかんよ」と言われました。飲んでいなかったかもしれませんが心に響く言葉の選び方に気づかされたのです。看護者はつい一方的に決め付けての対応が多いように感じます。「ああしなさい・こうしなさい」とか?(以下、文字化けにて省略)
この二例を通して、福崎さんが述べた清原先生の言葉に「やり方ではなく、そこに在ること」ありました。人との出会い特に患者さんは私の師匠でもあると思う毎日です。研究会での出会いも私へもっともっと勉強しなさい人生は長いのです、出会いが成長させていただけるように大切にしたいと思います。これからもよろしくお願いします。